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※本記事は『遊戯王 アーリーデイズコレクション』の
収録タイトル『遊戯王デュエルモンスターズ』ゲームボーイ版の内容に触れています。
| タイトル | 遊戯王 アーリーデイズコレクション |
|---|---|
| 発売日 | 2025年2月27日 |
| 発売メーカー | KONAMI |
| ジャンル | 対戦型カードゲーム |
| プレイ人数 | 1人 |
| 価格 | 6,050円(税込) |
| 対応プラットフォーム | Nintendo Switch / Steam |
おいらは、今年で40歳になる。
そう、アラフォーオタクだ。
だから、おいらは勝手に思っている。
遊戯王の、最初の世代だと。
遥か昔。
まだおいらが小学生だった頃、初期の遊戯王にはかなりハマっていた。
気弱だった遊戯が、城之内くんと友達になっていく。
めちゃくちゃ可愛い杏子とも、少しずつ距離が近づいていく。
その間にあったのが、“ゲーム”だった。
テレビゲームだけじゃない。
カードゲーム。
ボードゲーム。
いろんな遊び。
勝ったり、負けたり、試されたり、認められたりする中で、人と人の距離が変わっていく。
当時のおいらには、その感じがたまらなかった。
もちろん、カードゲームとしての遊戯王も好きだった。
ただ、いつの間にか離れてしまった。
ポケモンカードもあった。
モンスター・コレクションもあった。
特においらは、剣と魔法のファンタジー感が強かったモンスター・コレクションに、かなり心を持っていかれていた。
その一方で、遊戯王はどんどん巨大な作品になっていった。
今では、誰もが知っているレベルの超メジャータイトルだと思う。
カードゲームとしても、今なおとんでもない存在感を持っているはずだ。
……と、ふわっとした説明しかできない程度には、今のおいらは遊戯王に詳しくない。
最初は、あんなに好きだったのに。
でも、40歳が近づいてくると、少し思う。
ゲームや漫画やアニメは、おいらの人生で一番大事なジャンルだ。
なのに、その中でも超有名な遊戯王を、ちゃんと理解していない。
それは少し、もったいないんじゃないか。
好きだったはずのものを、遠くから眺めるだけで終わらせていいのか。
そんなタイミングで発売されたのが、『遊戯王 アーリーデイズコレクション』だった。
しかも、収録されている初代ゲームボーイ版『遊戯王デュエルモンスターズ』は、当時リアルタイムで買って遊んでいた作品だ。
小学生の頃、友達とどこかのゲームショップに行って、対戦した記憶もある。
だから、懐かしさ半分で、もう一度遊んでみた。
最初は、懐かしいだけで終わると思っていた。
思い出の棚から、古いカードを一枚取り出すようなものだと思っていた。
でも、違った。
ちゃんと、今のおいらの手元でも動いた。
ただの思い出じゃなかった。
初代GB版『遊戯王デュエルモンスターズ』は、今遊んでも、不思議なくらい手に馴染むゲームだった。
アラフォーオタクは、遊戯王の最初の世代だった

今の遊戯王は、おいらには遠い。
ルールも分からない。
環境も分からない。
強いカードも分からない。
たぶん、今から真正面で追いつこうとしたら、普通に溺れる。
でも、初代GB版なら話は別だ。
そこにあるのは、まだ巨大コンテンツになる前の遊戯王。
カードを出す。
殴る。
勝つ。
カードをもらう。
めちゃくちゃ単純だ。
けれど、その単純さの中に、子どもの頃に触れていた遊戯王の匂いが残っていた。
今の遊戯王に追いつくためではない。
昔のおいらが知っていた遊戯王に、もう一度触るため。
だからこそ、初代GB版『遊戯王デュエルモンスターズ』を遊ぶ意味があった。
最新の遊戯王に追いつくためじゃない。
置いてきた自分の遊戯王を、拾いにいくためだった。
好きだった遊戯王が、みんなの遊戯王になっていった

超メジャーになった遊戯王から、なぜか距離を取ってしまった
遊戯王が嫌いになったわけじゃない。
むしろ、好きだった。
でも、遊戯王はどんどん大きくなっていった。
カードゲームとしても、漫画としても、アニメとしても。
気づけば、誰もが知っている作品になっていた。
本当なら、喜ぶべきことだと思う。
自分が好きだったものが、世の中に広がっていく。
それはたぶん、すごく幸せなことだ。
でも、おいらは少し違った。
超メジャーになった作品を、素直に追えなくなる。
そういう面倒くさいところがある。
みんなが好き。
誰もが語る。
常識みたいに扱われる。
そうなると、なぜか一歩引いてしまう。
自分が好きだったものが、いつの間にか“みんなのもの”になっていく。
その感じに、少しだけ置いていかれたのかもしれない。
だから、おいらは遊戯王から離れた。
嫌いになったからじゃない。
好きだったはずなのに、近くにいられなくなった。
初代GB版『遊戯王デュエルモンスターズ』は、攻撃力こそ正義のシンプルなゲームだった

初代GB版『遊戯王デュエルモンスターズ』は、とにかくシンプルだ。
強いカードを出す。
殴る。
勝つ。
基本はこれ。
特殊効果がどうとか、複雑な展開がどうとか、そういうものはほとんど意識しなかった。
少なくとも、おいらのプレイ感覚では、
攻撃力の高いカードこそ正義。
そんなゲームだった。
もちろん、守備力も大事だ。
相手の守備力が高いと、攻撃力だけでは突破できない場面もある。
それでも、まず見るのは攻撃力。
数字が大きい。
それだけで強い。
なんて分かりやすい世界なんだ。
今の遊戯王に詳しい人から見れば、かなり物足りないのかもしれない。
でも、今の遊戯王にまったく追いついていないおいらには、むしろこの単純さがありがたかった。
カードを出す。
相手のカードを倒す。
勝ったら、報酬でカードが1枚もらえる。
そして、少しずつデッキが強くなっていく。
カードゲームというより、RPGのレベル上げに近い。
でも、その地味な積み上げが妙に楽しい。
やっていることは単純。
なのに、手元のデッキが少しずつ強くなっていく感覚がある。
この分かりやすさ。
この雑だけど気持ちいい成長感。
この不器用な成長感が、思ったよりおいらのツボを突いてきた。
城之内くんと100回戦って、レッドアイズを手に入れた

初代GB版では、同じ相手に勝ち続けると報酬がもらえる。
10勝。
20勝。
30勝。
そんな感じで、区切りごとにカードが手に入る。
そして、城之内くんの100勝報酬。
それが、レッドアイズ・ブラックドラゴンだった。
これは熱い。
いや、熱いに決まっている。
遊戯王を少しでも知っていれば、レッドアイズの名前には反応してしまう。
漫画でも見た。
城之内くんの魂みたいなカード。
そのレッドアイズを、城之内くんと100回戦って手に入れる。
作業と言えば、作業だ。
たぶん、人によっては苦行だと思う。
でも、おいらは嫌じゃなかった。
むしろ、じわじわ楽しかった。
城之内くんを倒す。
カードをもらう。
また倒す。
またカードをもらう。
気づけば、デッキの中に戦士族っぽいカードが増えていく。
攻撃力1000から1500くらいのカードが揃っていく。
強くなっている。
地味だけど、ちゃんと強くなっている。
その積み上げの先に、レッドアイズがいる。
なんだろう。
ただの100勝報酬なのに、妙に物語がある。
城之内くんと何度も戦って、最後に城之内くんの象徴みたいなカードを受け取る。
雑なゲームシステムのはずなのに、そこだけ妙にエモい。
レッドアイズ・ブラックドラゴンを手に入れた瞬間、画面の向こうから昔の遊戯王が手を振ってきた気がした。
レッドアイズとホーリー・ナイト・ドラゴンが、おいらのツートップだった

城之内くんと100回戦って手に入れた、レッドアイズ・ブラックドラゴン。
そして、パスワードで入手したホーリー・ナイト・ドラゴン。
この2体が、おいらのデッキの柱だった。
レッドアイズは攻撃力2400。
ホーリー・ナイト・ドラゴンは攻撃力2500。
この数字が、初代GB版ではとにかく頼もしい。
難しいルールなんて分からない。
融合も、全く使いこなしていない。
細かい戦略なんて、何も無い。
でも、この2体が手札に来るだけで空気が変わる。
「あ、これは押し切れるな」
そう思える。
それくらい、攻撃力2000超えの存在感は大きかった。
他のカードは、城之内くんと戦い続ける中で集めた戦士系カードが中心。
攻撃力1000から1500くらいのカードで場をつなぎ、
最後はレッドアイズかホーリー・ナイト・ドラゴンで殴る。
だいぶ力技だ。
でも、初代GB版はそれでいい。
いや、それがいい。
複雑な読み合いではなく、強いカードを引いた時の安心感で押していく。
きれいなデッキ構築ではないかもしれない。
でも、おいらの手元で少しずつ育っていったデッキだった。
その中心にいたのが、レッドアイズとホーリー・ナイト・ドラゴンだった。
融合も戦略もよく分からない。でも、それでもクリアできた

一応、融合システムもある。
場に出しているカードに、さらに別のカードを重ねると、別のモンスターになる。
たぶん、そういう仕組みだと思う。
でも、おいらは最後までほとんど使いこなせなかった。
一度だけ融合っぽいことは起きた。
ただ、狙ってやったわけではない。
気づいたら、なんか別のカードになっていた。
なんのカードかすら覚えていない(ぇ
すまん、その程度の理解なんだ(遠い目
それでもさ、クリアはできたのよ。
強いカードを集める。
攻撃力の高いカードを出す。
相手のモンスターを倒す。
ライフ7,000を削りきる。
結局、おいらの戦い方は最後までこれだった。
たぶん、上手い人から見れば雑だと思う。
でも、初代GB版『遊戯王デュエルモンスターズ』は、その雑さを許してくれた。
完璧な戦略を組まなくてもいい。
複雑なルールを理解しなくてもいい。
強いカードを握って、正面からぶつければ、なんとかなる。
その大味さが、心底ありがたかった。
最後はペガサスを倒して、スタッフロールまで見ることができた。
融合も分からない。
戦略も怪しい。
それでも、子どもの頃の延長線みたいなデュエルで、ちゃんと最後まで行けた。
このゆるさが、今のおいらにはちょうどよかった。
セーブの仕組みだけは、最後までよく分からなかった

ただ、セーブの仕組みだけは最後までよく分からなかった。
『遊戯王 アーリーデイズコレクション』側のセーブ機能はある。
だから、遊ぶうえで致命的に困ったわけではない。
でも、初代GB版『遊戯王デュエルモンスターズ』の中で、任意にセーブする方法が最後まで分からなかった。
戦闘が終わったあと。
デッキを編集したあと。
画面の右下に、フロッピーディスクみたいなマークが出る。
たぶん、あれがセーブなのだと思う。
でも、自分の好きなタイミングで「ここで保存した」と確信できないのは、少し落ち着かなかった。
最近遊んだ作品だと、『Life is Strange』もそうだった。
オートセーブ自体は便利だ。
でも、おいらはやっぱり、自分の手でセーブしたい。
「ここまで進めた」
「ここで一区切り」
そうやって、自分で栞を挟みたいタイプなのだと思う。
だから、セーブまわりだけは少しだけ気になった。
ゲームそのものは気持ちよく遊べた。
でも、最後までセーブだけは、少しだけ霧の中だった。
終わりに|初代GB版の遊戯王は、懐かしいだけのゲームじゃなかった
懐かしさ半分で始めた。
正直、それだけで満足すると思っていた。
昔遊んだゲームを、もう一度触る。
それで十分だと思っていた。
でも、初代GB版『遊戯王デュエルモンスターズ』は、思ったよりちゃんと手に残った。
攻撃力の高いカードを出す。
相手を倒す。
カードをもらう。
また少し強くなる。
やっていることは、とてもシンプルだ。
今の遊戯王とは、きっと全然違う。
カードゲームとしての奥深さも、現代基準で見ればかなり薄いのだと思う。
でも、その単純さが気持ちよかった。
複雑なルールを知らなくてもいい。
最新の環境についていけなくてもいい。
強いカードを引いて、正面から殴る。
それだけで、ちゃんと楽しい。
おいらが子どもの頃に触れていた遊戯王は、たぶんこういう手触りだった。
懐かしいだけのゲームではなかった。
置いてきたと思っていた遊戯王が、まだちゃんと遊べる形で残っていた。
それが、なんだか嬉しかった。
このまま次の収録タイトルも遊んでいきたい。
今の遊戯王に一気に追いつけるとは思っていない。
でも、初期の遊戯王から少しずつ触り直すことならできる。
アラフォーオタクの遊戯王リハビリとしては、かなり良い一歩だった。

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