【幻水アニメ】ピリカは、ジョウイを変えてしまった子どもだった|幻想水滸伝IIアニメへの期待と不安

※当記事は幻想水滸伝IIのネタバレを含みます、注意

『幻想水滸伝II』のアニメ化で、ピリカをどう描くのか。

ここは、かなり大事だと思っている。

ピリカは、ただ守られる子どもではない。

戦争に日常を壊された子どもであり、
ジョウイの心を決定的に変えてしまった存在であり、
『幻想水滸伝II』という物語の痛みを、いちばんまっすぐ背負っているキャラクターでもある。

ピリカがいるから、戦争は遠い国同士の争いではなくなる。

そこには、暮らしがあった。
家族がいた。
普通に生きていた子どもがいた。

その当たり前が壊されるから、『幻想水滸伝II』は痛い。

そして、その痛みを目の前で見たからこそ、ジョウイは変わってしまったのだと思う。

だからこそ、アニメ版でピリカを軽く描かれるのが怖い。

かわいそうな子。
守られる子。
泣いている子。

それだけで終わらせてほしくない。

この記事では、『幻想水滸伝II』アニメ版でピリカをどう描いてほしいのか。
そして、ピリカという存在がジョウイや物語全体に与える重さについて、RPG黄金期キッズ視点で語っていく。

目次

ピリカは、幻想水滸伝IIの戦争の痛みそのものだった

戦争という言葉だけを聞くと、どうしても大きな話に見える。

国と国の争い。
軍隊と軍隊の衝突。
王国と都市同盟の対立。
歴史が動いていく物語。

もちろん、それも幻想水滸伝IIの大事な部分だ。

でも、戦争の痛みは、もっと小さな場所にもある。

普通に暮らしていた村が壊される。
家族と一緒にいた時間が奪われる。
昨日まで当たり前だった日常が、突然終わる。

ピリカは、その痛みを背負っている。

ピリカは、戦いたかったわけではない。

政治のことを考えていたわけでもない。
ハイランド王国と都市同盟の関係を理解していたわけでもない。
誰かを憎むために生きていたわけでもない。

ただ、家族と一緒に暮らしていた子どもだった。

その子どもから日常が奪われる。

だから痛い。

『幻想水滸伝II』の戦争は、ただ地図の上で勢力が動く話ではない。

そこには、人がいる。
村がある。
家族がある。
子どもがいる。

ピリカを見ると、それを突きつけられる。

戦争が起きると、傷つくのは兵士だけではない。

物語の中心にいる英雄だけでもない。

ただそこに暮らしていただけの人たちが、巻き込まれていく。

ピリカは、その現実をプレイヤーに見せる存在だったと思う。

だからこそ、アニメ版ではピリカを軽く描いてほしくない。

ただ泣いている子。
ただ守られる子。
ただジョウイを動かすためのきっかけ。

それだけにしてしまうと、ピリカの重さは薄くなる。

ピリカには、失われた日常がある。

家族がいた。
暮らしがあった。
笑っていた時間があった。

その全部が壊されたから、ピリカは痛い。

そして、その痛みを目の前で見たからこそ、ジョウイも変わってしまった。

ピリカは小さな子どもだ。

でも、物語の中で背負っているものは、とても大きい。

『幻想水滸伝II』が戦争をただのかっこいい物語にしないために、ピリカは絶対に必要な存在だったと思う。

ピリカを守りたい気持ちが、ジョウイを動かした

ピリカを守りたい。

その気持ちが、ジョウイを動かしたのだと思う。

ジョウイは、最初からリリュウと別の道を歩きたかったわけではないと思う。

ナナミから離れたかったわけでもない。
誰かを悲しませたかったわけでもない。
ただ、自分の目の前にいるピリカを守りたかった。

戦争に日常を壊された子ども。
家族を奪われ、言葉にならない痛みを抱えた子ども。

その姿を見た時、ジョウイはきっと思ったはずだ。

この子を守りたい。

もう二度と、こんな思いをさせたくない。

そこにあったのは、間違いなく優しさだったと思う。

そして、おいらはその優しさを否定したくない。

むしろ、全肯定したい。

ジョウイは、ピリカを守るために動いた。

目の前の子どもを守りたい。
もう同じ悲しみを繰り返したくない。
そのために、自分にできることをしようとした。

おいらには、そう見える。

だからジョウイを見ていると、どうしても責める気持ちにはなれない。

「ジョウイ、そこまで背負ったのか」

そう思ってしまう。

ピリカを守りたいという気持ちは、ジョウイにとってただの同情ではなかったと思う。

もっと深いところで、ジョウイの生き方そのものを決めてしまうくらい大きなものだった。

守りたい子がいた。

だから進んだ。

悲しませたくない子がいた。

だから決めた。

その動機があまりにも優しいから、おいらはジョウイを否定できない。

アニメ版で見たいのは、そこだ。

ピリカをただの「守られる子ども」として描くのではなく、ジョウイの心を大きく動かした存在として描いてほしい。

ピリカがいたから、ジョウイは動いた。

ピリカを守りたいと思ったから、ジョウイは自分の道を選んだ。

その姿を、おいらはちゃんと見届けたい。

ジョウイは悪いやつじゃない。

ジョウイは、守りたかった。

ただそれだけなんだ。

ピリカをただのかわいそうな子にすると薄くなる

ピリカは、かわいそうな子だ。

それは間違いない。

戦争に巻き込まれ、
家族を奪われ、
本来なら知らなくてよかった痛みを背負わされた。

そう考えると、ピリカを見て「かわいそう」と思うのは自然だと思う。

でも、ピリカをただの“かわいそうな子”として描いてしまうと、たぶん一気に薄くなる。

かわいそう。
守ってあげたい。
泣いている小さな子。

それだけで終わってしまうと、ピリカの存在は記号になってしまう。

ピリカには、ちゃんと日常があった。

家族がいて、
暮らしがあって、
笑っていた時間があって、
大切にしていたものがあった。

そこを感じられるからこそ、ピリカの痛みは重くなる。

ただ「悲しい出来事があった子」ではない。

普通に生きていた子どもの日常が、戦争によって壊されてしまった。

そこが大事なのだと思う。

そして、そのピリカを見たからこそ、ジョウイは動いた。

おいらは、ジョウイのその気持ちを全肯定したい。

ピリカを守りたい。

もう二度と、こんな思いをさせたくない。

その気持ちがジョウイの中に生まれたことを、アニメ版ではちゃんと描いてほしい。

ピリカがただの“かわいそうな子”で終わってしまうと、ジョウイの気持ちも単なる同情に見えてしまう。

でも、そうじゃないと思う。

ピリカは、ジョウイの心を大きく動かした存在だ。

守りたいと思わせた存在だ。

自分の道を選ぶ理由になった存在だ。

だからこそ、ピリカの描写はとても大事だと思う。

泣いている姿だけではなく、
抱えている痛みだけではなく、
本来そこにあった日常まで見せてほしい。

ピリカがどんな子だったのか。

何を失ったのか。

誰に守られ、誰に大切にされていたのか。

そこが見えるほど、ピリカの存在は深くなる。

そして、ジョウイがピリカを守りたいと思った気持ちにも、もっと体温が宿る。

ピリカをただのかわいそうな子にしないでほしい。

戦争に日常を壊された子どもとして。
ジョウイの心を動かした存在として。
『幻想水滸伝II』の痛みを背負うキャラクターとして。

アニメ版では、そこまで丁寧に描いてほしい。

ナッシュが少し遠くから見ている構図にも期待している

ピリカを語るなら、ナッシュの存在にも少し触れたくなる。

『幻想水滸伝外伝Vol.1』を知っていると、
リリュウ、ジョウイ、ナナミ、ピリカの周辺にナッシュがいる構図には、どうしても期待してしまう。

ナッシュは、あの輪の中心に入るキャラクターではない。

リリュウたちと一緒に走るわけでもない。
ジョウイの隣で同じ痛みを背負うわけでもない。
ナナミのように家族として踏み込むわけでもない。

でも、少し離れた場所から見ている。

その距離感がいい。

ナッシュは、外側にいるからこそ見えるものがあるキャラクターだと思う。

近づきすぎない。
ほとんど無関係かもしれない。
でも、ちゃんと見ている。

その感じが、アニメでも一瞬でいいから見られたらかなり嬉しい。

特に、ピリカ、ナナミ、リリュウ、ジョウイが並ぶ空気を、
ナッシュが少し遠くから見ている構図。

おいらは、そこにかなり期待している。

もちろん、アニメ本編がどこまで外伝要素を拾うのかは分からない。

ナッシュががっつり出るとは限らないし、
出さなくても、そもそも物語は成立する。

でも、もしアニメ版が『幻想水滸伝II』だけでなく、
外伝まで含めた空気を少しでも拾ってくれるなら。

遠くから見ているナッシュ。

それだけで、おいらはの頬は自然と緩んでしまう。

ナッシュは、リリュウたちの物語を奪う存在ではない。

むしろ、少し離れた場所から見ているからこそ、あの4人の痛みや眩しさが引き立つ。

リリュウ。
ジョウイ。
ナナミ。
ピリカ。

この4人の近さと、ナッシュの少し離れた距離。

その対比が見られたら、アニメ版『幻想水滸伝II』への信頼感はかなり増す。

細かいところだけど、こういう外伝の空気まで拾ってくれたら嬉しい。

ピリカを描けるかどうかで、アニメの戦争描写の重さが変わる

ピリカをどう描くか。

そこは、アニメ版『幻想水滸伝II』の戦争描写にかなり関わってくると思う。

『幻想水滸伝II』は、戦争の物語だ。

でも、それはただ軍と軍がぶつかる話ではない。

大きな勢力が動く。
国が揺れる。
リリュウとジョウイの道が分かれていく。

そういう大きな物語の裏側に、ピリカのような子どもがいる。

普通に暮らしていたのに、日常を壊された子どもがいる。

ここを描けるかどうかで、戦争の重さはかなり変わると思う。

戦争を派手な戦闘シーンだけで描くなら、いくらでもかっこよくできる。

大軍。
炎。
剣。
号令。
激突。

そういう映像は、たぶんアニメでも映える。

でも、それだけでは『幻想水滸伝II』の戦争にはならない。

『幻想水滸伝II』の戦争が痛いのは、その戦いの奥に、壊された日常があるからだと思う。

ピリカは、その象徴だ。

ピリカがちゃんと描かれれば、戦争はただの背景ではなくなる。

リリュウたちが巻き込まれた大きな流れでもあり、
ジョウイの心を動かした出来事でもあり、
普通に生きていた人たちの暮らしを壊すものとして見えてくる。

だから、ピリカの描写を軽くしてほしくない。

泣いている子ども。
守られる子ども。
ジョウイを動かすためのきっかけ。

それだけで終わらせると、戦争の痛みも薄くなってしまう。

ピリカには、失われた日常がある。

その日常が見えるからこそ、ジョウイがピリカを守りたいと思った気持ちにも説得力が出る。

おいらは、そこを全肯定したい。

ジョウイがピリカを守りたいと思ったこと。

その気持ちに動かされたこと。

その優しさを、アニメでちゃんと見せてほしい。

ピリカを丁寧に描けたら、ジョウイの物語も深くなる。

リリュウたちの旅も重くなる。

そして、『幻想水滸伝II』の戦争が、ただの物語上の出来事ではなく、ちゃんと人の痛みを伴ったものとして伝わると思う。

だからピリカは大事だ。

小さな子どもだけど、背負っているものは大きい。

ピリカを描けるかどうかで、アニメ版『幻想水滸伝II』の戦争描写の重さは大きく変わる。

終わりに|外伝のナッシュを、どう本編に盛り込むのか

ピリカを丁寧に描けるかどうか。

そこは、アニメ版『幻想水滸伝II』の重さを大きく左右すると思う。

ただ、おいらがもうひとつ強く期待しているのは、外伝のナッシュをどう本編に盛り込むのか、というところだ。

『幻想水滸伝外伝Vol.1』を知っていると、
リリュウ、ジョウイ、ナナミ、ピリカの近くにいるナッシュの存在を、どうしても意識してしまう。

ナッシュは、あの輪の中心にいる人間ではない。

でも、少し離れた場所から見ている。

近づきすぎない。
でも、全くの無関係でもない。

その距離感が、すごくいい。

アニメ版が本編を描く以上、外伝要素をどこまで入れるかは難しいと思う。

でも、ほんの一瞬でもいい。

リリュウたちの物語を邪魔しない形で、
外伝を知っている人だけが反応できるような距離感で、
ナッシュがそこにいてくれたら。

それだけで、おいらはかなり嬉しい。

ピリカをどう描くのか。

そして、その少し外側にナッシュの視線を置けるのか。

アニメ版『幻想水滸伝II』には、そこをかなり期待している。

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