【徹底考察】幻想水滸伝スターリープの初期メンバーは『I』型か『II』型か?シャプールがいる始まりの意味

『幻想水滸伝スターリープ』の初期メンバー4人を見ていて、

ふと考えた。


これは、

『幻想水滸伝I』に近い始まりなのか。


それとも、

『幻想水滸伝II』に近い始まりなのか。


『I』の主人公である坊ちゃんのそばには、

最初から、

グレミオ、

クレオ、

パーンがいた。


過酷な道のりではあったけれど、

頼れる大人たちがそばにいる始まりだった。


一方で、

『II』のリオウのそばにいたのは、

ジョウイとナナミ。


同年代の3人だけで、

まだ何も分からないまま、

大きすぎる時代の流れに放り込まれていく。


あの心許なさには、

『II』ならではの魅力があったと思う。


そして、スターリープ。


チャオのそばには、

ヒスイがいて、

シーリーンがいて、

さらに、

師匠であるシャプールがいる。


この並びを見ると、

スターリープの始まりは、

どちらかといえば『I』に近いようにも見える。


ただ、

もちろん同じではない。


里を失い、

その里を復興していく物語。


幼なじみがいて、

謎を抱えた少女がいて、

師匠がいる。


その4人から始まる空気は、

『I』とも、

『II』とも、

少しずつ違っている。


今回は、

『幻想水滸伝スターリープ』の初期メンバー4人を、

『I』と『II』の始まり方と比べながら、

この物語がどんな温度で立ち上がっていくのかを考えていく。

目次

『I』は最初から頼れる大人がいた

『幻想水滸伝I』の始まりには、

最初から、

大人の手があった。


主人公である坊ちゃんのそばには、

グレミオがいる。

クレオがいる。

パーンがいる。


父テオの部下であり、

マクドール家に仕える者たち。


つまり、

坊ちゃんは物語の最初から、

完全に一人で世界へ放り出されるわけではない。


むしろ、

守られていた側の少年が、

頼れる大人たちに支えられながら、

少しずつ自分で立つようになっていく。


そんな始まり方だったと思う。


グレミオは、

過保護なくらいに坊ちゃんを案じる。


クレオは、

冷静に状況を見て、

必要な時には道を示してくれる。


パーンは、

最初こそ別の形で坊ちゃんの前に立つけれど、

それでも、

マクドール家に連なる大人の一人だ。


この3人がいることで、

『I』の序盤には、

どこか“家”の温度が残っている。


帝国の中枢に近い場所から物語が始まり、

やがてその足元が崩れていく。


かなり過酷な話なのに、

最初の坊ちゃんの周りには、

まだ守ってくれる人たちがいる。


ここが、

『I』の始まりを少し特別なものにしている気がする。


もちろん、

頼れる大人がいるから、

物語が甘いわけではない。


むしろ、

その大人たちとの関係があるからこそ、

後に背負う喪失や別れが重くなる。


ただ、

少なくとも最初の一歩は、

完全な孤独ではない。


坊ちゃんは、

自分ひとりの足で歩き出す前に、

まず、

誰かに守られてきた少年として描かれる。


そして、

その支えを知っているからこそ、

やがて人を率いる側へ変わっていく。


『I』の主人公には、

最初から頼れる大人がいた。


それは、

物語に安心感を与えるだけではなく、

坊ちゃんが後に背負うものの重さを、

より強く見せるための始まりでもあったと思う。

『II』は同年代だけの心許なさがあった

一方で、

『幻想水滸伝II』の始まりには、

『I』とはまったく違う空気があった。


リオウのそばにいたのは、

ジョウイと、

ナナミ。


頼れる大人ではなく、

同じくらいの年頃の二人だった。


もちろん、

ナナミは姉であり、

ジョウイは親友だ。


二人とも、

リオウにとってかけがえのない存在だったと思う。


でも、

世界の見方も、

経験も、

まだ子どもに近い。


これから何が起きるのか。

自分たちがどこへ向かうのか。

誰を信じればいいのか。


何も分からないまま、

3人は、

大きすぎる時代の流れに投げ込まれていく。


ここが、

『II』の始まりのたまらないところだった。


頼れる大人がいないから、

心細い。


でも、

心細いからこそ、

3人でいることそのものが、

ものすごく切実に見える。


リオウとジョウイが並ぶ。


そこにナナミが割って入る。


その距離の近さだけで、

まだ世界が壊れる前の、

小さな居場所が見える。


『I』の序盤には、

守ってくれる人たちがいた。


でも『II』では、

3人とも、

誰かに守られる側でしかない。


それでも、

お互いだけは手放さない。


その頼りなさが、

逆に強く胸に残る。


もし最初から、

よく物事を知る大人がそばにいたら、

『II』の始まりは、

ここまで危うくは見えなかったかもしれない。


でも、

リオウとジョウイとナナミだけだったからこそ、

あの逃避行には、

幼さと、

痛みと、

祈るような近さがあった。


まだ何者でもない少年たちが、

何も分からないまま、

それでも一緒にいようとする。


その姿が、

『II』という物語の最初の温度を決めていたと思う。


だからおいらは、

『II』の始まりが好きだ。


安心感は薄い。


頼もしさも、

『I』ほどはない。


でも、

いい意味で心許ない。


その心許なさがあるからこそ、

後に大きく広がっていく物語が、

最初は本当に、

3人だけのものだったのだと感じられる。

スターリープは、どちらかといえば『I』に近い

では、

『幻想水滸伝スターリープ』はどうか。


チャオのそばには、

ヒスイがいる。

シーリーンがいる。

そして、

シャプールがいる。


この並びを見ると、

スターリープの始まりは、

どちらかといえば『I』に近いように見える。


もちろん、

まったく同じではない。


チャオは、

マクドール家の坊ちゃんのように、

大きな家に生まれた少年ではない。


湖畔の里で暮らしていた、

ひとりの少年だ。


物語の始まり方も違う。


『I』は、

守られていた日常が、

少しずつ崩れていく物語だった。


一方でスターリープは、

里が襲われ、

日常が一度壊されたところから、

復興へ向かって動き出す物語に見える。


それでも、

初期メンバーの空気だけを見るなら、

『II』よりは『I』に近い。


理由は、

やはりシャプールの存在だ。


ヒスイとシーリーンは、

チャオと近い側にいる。


でもシャプールは、

主人公の師匠であり、

4人の中では明らかに、

経験を持つ側の人物に見える。


何も分からない子どもたちだけで、

世界へ放り出されるわけではない。


最初から、

頼れる大人がそばにいる。


この一点だけでも、

『II』の始まりとは、

かなり手触りが違う。


『II』のリオウたちは、

同年代だけだからこそ、

互いに寄りかかるしかなかった。


でもスターリープの4人には、

少なくとも最初から、

道を知っていそうな人物がいる。


その分、

物語の始まりには、

少し頼もしさがある。


失われた里を前にしても、

完全な手探りだけではないように見える。


ここは、

おそらくスターリープの初期の温度を、

かなり左右すると思う。


チャオたちは、

心細くないわけではない。


里は襲われた。

日常は壊された。

ヒスイには謎がある。


それでも、

シャプールがいることで、

始まりの空気には、

『I』にあったような、

“支えてくれる誰かがそばにいる”感覚が宿る。


だから、

スターリープは、

『II』のような頼りなさよりも、

『I』に近い頼もしさから始まる物語に見えている。


ただし、

それは決して、

スターリープが『I』の焼き直しだという意味ではない。


『I』に近い安心感を持ちながら、

壊された里を自分たちで立て直していく。


その組み合わせに、

スターリープならではの始まり方がある気がしている。

シャプールがいることで、最初の空気はどう変わるのか

シャプールがいることで、

スターリープの始まりには、

ひとつ大きな違いが生まれる。


それは、

最初から“見えている人”がそばにいること


だと思う。


チャオも、

ヒスイも、

シーリーンも、

湖畔の里で生きてきた側の人間だ。


里が襲われた時、

おそらく彼らは、

失ったものの大きさの中にいる。


何が起きたのか。

なぜ襲われたのか。

これからどうすればいいのか。


目の前の痛みが大きすぎて、

すぐに外の世界まで見渡せるわけではないはずだ。


でも、

シャプールは違う。


主人公の師匠であり、

家の執事でもある。


さらに、

漫画版『星々の軌跡』では、

彼自身が主人公として描かれている。


つまりシャプールは、

本編が始まる前から、

すでに自分の物語を歩いてきた人物だ。


チャオたちより、

少し先の景色を見ている。


少し多くのことを知っている。


その人物が最初からそばにいることで、

スターリープは、

ただ被害を受けた少年少女たちが、

手探りで立ち上がる物語にはならない。


もちろん、

だから楽になるという話ではない。


里を襲われた痛みは、

誰か大人がいるだけで消えるものではない。


ヒスイの謎も、

チャオの迷いも、

シーリーンの喪失も、

シャプールが代わりに背負えるわけではない。


でも、

完全な暗闇の中で、

誰も何も知らないまま進むのとは違う。


シャプールがいることで、

最初の4人には、

ほんの少しだけ、

“道になりそうなもの”が見える。


ここが、

『II』との大きな違いなのだと思う。


リオウたちは、

同年代だけで、

世界に放り出された。


だからこそ、

あの始まりには、

行く先の見えなさがあった。


一方でスターリープは、

里を失った直後から、

復興という向かう先がある。


そこに、

師匠であるシャプールがいる。


この組み合わせによって、

物語の最初の空気は、

ただ心細いだけではなくなる。


傷ついている。


でも、

立て直そうとしている。


何もかも分からない。


でも、

何かを知っている人がそばにいる。


その頼もしさが、

スターリープの始まりに、

少しだけ前を向く力を与えているように見える。


そして同時に、

シャプールがいるからこそ、

チャオの成長も見えやすくなる気がする。


最初は、

教えられる側。


支えられる側。


でも、

物語が進む中で、

いつまでも師匠の後ろにいるわけにはいかない。


いつかは、

自分で見て、

自分で選び、

自分で進む時が来る。


シャプールという頼れる存在が最初にいるからこそ、

そこからチャオがどこまで自分の足で立てるようになるのか。


その変化も、

よりくっきり見えてくるのかもしれない。


シャプールは、

初期メンバーの中に、

頼もしさを持ち込む人物だ。


でもそれは、

物語から危うさを消すためではなく、

チャオがいつか越えていくべき、

最初の支えとして置かれているのかもしれない。

それでもスターリープは『I』の焼き直しではない

スターリープは、

初期メンバーの空気だけを見るなら、

たしかに『I』に近い。


主人公のそばに、

最初から頼れる大人がいる。


何も分からない同年代だけで、

世界へ放り出される始まりではない。


その点では、

『II』よりも、

『I』の方が感触は近いと思う。


でも、

もちろん、

スターリープは『I』の焼き直しではない。


いちばん大きく違うのは、

物語の出発点だ。


『I』の坊ちゃんは、

帝国将軍の息子として、

すでに守られた場所にいた。


マクドール家という家があり、

グレミオやクレオたちがいて、

その日常が少しずつ崩れていく。


一方で、

スターリープのチャオは、

物語の始まりから、

湖畔の里を襲われる。


守られていた場所が崩れていくのではなく、

最初にもう、

帰る場所が傷つけられている。


そして、

チャオたちは、

失った里を離れて別の場所へ向かうのではなく、

その里を復興するために動き出す。


ここが、

かなり違う。


『I』が、

家を失って世界へ踏み出していく物語だとしたら、

スターリープは、

傷つけられた故郷を、

もう一度“帰る場所”に戻していく物語でもある。


この違いは大きいと思う。


さらに、

初期メンバーの形も、

『I』とは同じではない。


坊ちゃんのそばにいたのは、

グレミオ、

クレオ、

パーン。


いずれも、

父テオに連なる、

マクドール家の大人たちだった。


でも、

チャオのそばには、

ヒスイがいる。


シーリーンがいる。


そして、

シャプールがいる。


頼れる大人はいる。


でも同時に、

近い年頃の仲間も、

最初からそばにいる。


ヒスイの謎があり、

シーリーンとの日常があり、

シャプールの師匠としての重みがある。


『I』のような頼もしさを持ちながら、

『I』とは違う関係性の手触りがある。


だから、

スターリープは、

『I』に近い始まり方をしながら、

同じ場所へ向かう物語ではない。


最初から支えてくれる人がいる。


でも、

最初から取り戻さなければならない場所もある。


そこから、

小さな復興の物語が、

やがて大きな志へ変わっていく。


その形こそが、

スターリープだけの始まり方なのだと思う。

頼もしさと心細さ、どちらが物語を強くするのか

頼れる大人がいる始まりと、

同年代だけで寄り添う始まり。


どちらの方が、

物語を強くするのか。


これは、

たぶん優劣の話ではない。


強くなる場所が、

違うだけだと思う。


『I』のように、

最初から頼れる大人がそばにいる物語には、

安心感がある。


まだ何も知らない主人公の周りに、

すでに世界を知っている人たちがいる。


だからこそ、

主人公がそこから少しずつ自分の足で立っていく過程が見える。


守られていた者が、

やがて誰かを守る側になる。


その変化が、

物語を強くする。


一方で、

『II』のように、

同年代だけで始まる物語には、

心細さがある。


分からない者同士で、

それでも一緒にいる。


先の見えない道を、

手を取り合って進む。


頼れる大人がいないからこそ、

その関係そのものが、

最初から切実になる。


リオウとジョウイとナナミが、

ただ一緒にいるだけで、

胸にくる。


それは、

心細さが物語に与える強さだ。


だから、

頼もしさがあるから弱い。

心細いから強い。


そんな単純な話ではない。


頼もしさには、

頼もしさからしか生まれない変化がある。


心細さには、

心細さからしか生まれない切実さがある。


そして、

スターリープは、

おそらく前者に近い。


シャプールがいる。


だから、

最初から完全な手探りではない。


壊された里を前にしても、

ただ途方に暮れるだけではなく、

復興へ向かう足場が見える。


そこは、

スターリープの頼もしさだと思う。


ただし、

頼れる人がいる物語は、

そのぶん、

いつか主人公自身が立たなければならない。


シャプールに支えられて始まったチャオが、

どこで自分の判断を持ち、

どこで師匠の背中から離れ、

どこで自分の答えを選ぶのか。


そこが描かれた時、

スターリープの始まりにあった頼もしさは、

ただの安心感では終わらない。


チャオの成長を見せるための、

最初の支えになる。


おいらは個人的に、

『II』のあの心許なさが好きだ。


同年代だけで寄り添う、

危うくて、

少し頼りない始まり方に、

どうしても惹かれてしまう。


でも、

スターリープが選んだのは、

たぶん別の強さだ。


頼れる人がいるところから始まり、

それでもいつか、

自分で立たなければならなくなる物語。


その形がきちんと描かれるなら、

スターリープの始まりもまた、

十分に強いものになると思う。

終わりに

幻想水滸伝の始まり方は、

作品ごとにかなり違う。


『幻想水滸伝III』は、

ヒューゴ、

クリス、

ゲド。


3人の主人公それぞれに、

違う初期メンバーがいた。


ヒューゴには、

ジョー軍曹がいて、

フーバーがいて、

ルルがいた。


誤解を恐れずに言えば、

あの始まりには、

『II』に近い心細さがあったと思う。


同年代の仲間たちと、

まだ広すぎる世界を前にしている感じ。


頼りない。


でも、

だからこそ近い。


あの手探り感は、

かなり好きだった。


一方で、

クリスには騎士団の仲間がいた。


ゲドには、

小隊の仲間がいた。


どちらも、

すでに戦場を知っている人たちだ。


頼れる。


経験がある。


それぞれの関係性も、

すでに積み上がっている。


同じ『III』の中でも、

誰の視点で始まるかによって、

物語の最初の空気はまったく違っていた。


『幻想水滸伝IV』は、

騎士団の同級生たちが仲間だった。


同じ世代の少年少女が、

一緒に海へ出て、

一緒に理不尽へ巻き込まれていく。


あれもまた、

良い意味で心細い始まりだったと思う。


頼れる大人が最初からすべてを導いてくれるわけではない。


まだ未熟な者同士で、

分からないまま進んでいく。


その危うさが、

『IV』の序盤にはあった。


そして『幻想水滸伝V』。


王子のそばには、

リオンがいた。

ゲオルグがいた。

サイアリーズがいた。


これはもう、

かなり頼もしい。


王子自身は若くても、

周りには経験を持つ大人たちがいる。


国を奪われ、

すべてを奪還していく物語の中で、

あの頼もしさは大きかった。


こうして見ると、

幻想水滸伝の初期メンバーには、

大きく分けて二つの温度があるのかもしれない。


頼れる人たちに支えられて始まる物語。


同年代の仲間たちと、

心細く手探りで始まる物語。


どちらが正しいわけでもない。


どちらが上という話でもない。


ただ、

始まりの温度が違えば、

主人公の見え方も変わる。


頼れる仲間がいると、

主人公がそこからどう自立していくのかが見える。


心細い仲間だけで始まると、

その関係そのものが、

最初から切実に見える。


おいらは、

個人的には『II』や『IV』のような、

同世代だけの危うさにかなり惹かれる。


何も分からない。


でも、

一緒にいる。


その頼りなさが、

妙に胸に残る。


ただ、

スターリープは、

おそらく少し違う。


チャオのそばには、

ヒスイがいて、

シーリーンがいて、

そしてシャプールがいる。


師匠であるシャプールがいることで、

スターリープの始まりには、

『I』や『V』に近い頼もしさがある。


でも、

ただ頼もしいだけでもない。


里は襲われている。


復興しなければならない場所がある。


ヒスイには謎があり、

シーリーンには失われた日常の気配があり、

シャプールには外の世界へ繋がる重みがある。


だから、

スターリープの始まりは、

完全に『I』でも、

完全に『II』でもない。


頼れる人がいる。


でも、

傷ついた場所から立ち上がらなければならない。


その4人から、

108星へ広がっていく。


この始まりが、

どんな温度になるのか。


頼もしさが勝つのか。


心細さがにじむのか。


それとも、

スターリープだけの新しい手触りになるのか。


おいらはそこを、

かなり楽しみにしている。

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