【徹底考察】幻想水滸伝スターリープのチャオはどんな人物なのか?ホウの息子として受け継ぐもの

チャオ。

『幻想水滸伝スターリープ』の主人公。

そして、
ホウの息子。

この時点で、
もう軽く見られない。

ホウは、
ただの父親ではない。

群島諸国出身の傭兵であり、
オルハンの戦友であり、
里の創設に関わった男。

そして、
無名諸国の将軍だったシャプールが、
主君として選んだ人物でもある。

そんな男の息子が、
スターリープの主人公である。

これ、
かなり重い。

幻想水滸伝は、
血筋だけで人を語る作品ではない。

でも、
誰の背中を見て育ったのか。

誰が作った場所で生きてきたのか。

誰から何を受け継いだのか。

そういうものを、
決して軽く扱わない作品だと思っている。

ならば、
チャオとはどんな主人公なのか。

ホウの息子として、
何を受け継いでいるのか。

父親世代が築いた里を失った時、
彼は何を背負って歩き出すのか。

そして、
シャプールが選んだ男の息子として、
どんな物語を見せてくれるのか。

今回は、
現時点で判明している情報を整理しながら、
主人公チャオという人物の意味を考えていく。

先に言っておく。

チャオは、
ただの新主人公ではないと思う。

ホウという父を持ち、
父親世代が築いた里で育ち、
その重さを受け取ってしまう少年。

おいらはそこに、
スターリープ本編のかなり大事な感情が眠っている気がしている。

目次

チャオとはどんな人物なのか?現時点で判明している基本情報

チャオ。

『幻想水滸伝スターリープ』の主人公だ。

そして、
ホウの息子。

まず、この時点でかなり重い。

主人公であり、
里長の息子であり、
父親世代が築いた里で育った少年。

スターリープの物語は、
このチャオを中心に動いていく。

現時点で判明している情報を見る限り、
チャオは特別な王族でも、
大国の将軍でも、
最初から英雄として描かれる人物でもない。

里で暮らす少年。

父であるホウの背中を見て育ち、
シーリーンたちと同じ日常の中で生きている。

でも、
幻想水滸伝の主人公って、
だいたい最初はそうなんだよ。

最初から世界を背負っているわけじゃない。

最初から英雄になりたかったわけでもない。

ただ、
自分の居場所があって、
大切な人がいて、
守りたい日常がある。

そこに戦争が来る。

理不尽が来る。

失うものが出てくる。

そして、
ただの少年ではいられなくなる。

チャオも、
おそらくその流れの中にいる主人公だと思う。

彼には、
ホウという父がいる。

ホウは、
群島諸国出身の傭兵であり、
オルハンの戦友であり、
里の創設に関わった男。

さらに、
無名諸国の将軍だったシャプールが、
主君として選んだ人物でもある。

つまりチャオは、
ただ「主人公だから重要」なのではない。

ホウの息子として、
最初からかなり大きな背景を背負っている。

父が作った里。

父が守ろうとした場所。

父とオルハンたちが積み上げてきた歴史。

その中で育った少年が、
スターリープの主人公になる。

ここが、かなり幻想水滸伝らしい。

血筋だけで物語が決まるわけじゃない。

でも、
誰の子として生まれたのか。

誰の背中を見て育ったのか。

どんな場所で生きてきたのか。

そういうものは、
その人物の選択に必ず影を落とす。

チャオは、
ホウの息子として始まる。

けれど、
物語が進めば進むほど、
きっと問われることになる。

父のように生きるのか。

父とは違う道を選ぶのか。

それとも、
ホウから受け継いだものを抱えたまま、
チャオ自身の答えを出すのか。

現時点では、
まだチャオという主人公のすべては見えていない。

でも、
ホウの息子であり、
里で育った少年であり、
スターリープの物語を背負う主人公。

この三つが重なっている時点で、
チャオはかなり重要な人物だと思う。

チャオはホウの息子。父の背中を見て育った主人公

チャオを語るうえで、
絶対に外せないのがホウの存在だ。

チャオは、
ホウの息子。

それは単なる家族設定ではないと思う。

なぜならホウは、
ただの父親ではないからだ。

群島諸国出身の傭兵。

オルハンの少年時代からの戦友。

里の創設に関わった人物。

そして、
無名諸国の将軍だったシャプールが、
主君として選んだ男。

そんな人物が、
チャオの父なんだ。

これ、
普通に重い。

チャオは、
最初から英雄として生まれたわけではない。

王族でもない。

大国の将軍でもない。

特別な肩書きを持って、
物語の中心に立っているわけではない。

でも、
彼にはホウという父がいる。

強くて、
豪快で、
権力に媚びず、
義を重んじる男。

良いものは良い。

悪いものは悪い。

相手が王族であろうと、
筋を通すことをやめない男。

チャオは、
そんな父の背中を見て育った。

ここが大きい。

幻想水滸伝は、
血筋だけで人を決める作品ではない。

でも、
誰の背中を見て育ったのか。

どんな大人の言葉を聞いてきたのか。

どんな場所で、
どんな価値観の中で生きてきたのか。

そこは、
その人物の選択に必ず影を落とすと思っている。

チャオにとってホウは、
ただの父親ではなかったはずだ。

里を作った人。

人をまとめた人。

シャプールに選ばれた人。

オルハンと共に戦ってきた人。

そして、
自分が当たり前のように生きてきた場所を、
作ってくれた人。

その背中は、
きっと大きかった。

大きすぎたかもしれない。

頼れる父。

強い父。

間違ったものには、
真正面からぶつかる父。

そんな父を見て育ったチャオが、
スターリープ本編で何を選ぶのか。

ここはかなり気になる。

父のように、
筋を通すのか。

父のように、
人を惹きつけるのか。

父のように、
誰かのために前に立つのか。

それとも、
ホウとは違うやり方で、
自分なりの答えを出すのか。

チャオは、
ホウの息子として物語を始める。

でも、
最後までただの“ホウの息子”ではいられない。

幻想水滸伝の主人公である以上、
いつかは自分の足で立たなければならない。

父の背中を見て育った少年が、
父から何を受け継ぎ、
何を乗り越えるのか。

そこに、
チャオという主人公の物語があるのだと思う。

チャオの父・ホウはただの父親ではない

チャオを語るなら、
やっぱりホウを避けて通れない。

ホウは、
ただの「主人公の父親」ではない。

群島諸国出身の傭兵。

オルハンの戦友。

里の創設に関わった人物。

そして、
シャプールが主君として選んだ男。

この情報だけでも、
すでに重い。

普通なら、
主人公の父親というだけで、
物語上かなり大きな存在になる。

でもホウの場合、
それだけじゃない。

チャオの父である前に、
ホウ自身がひとりの物語を背負っている。

群島諸国から無名諸国へ渡り、
傭兵として戦い、
オルハンと共に歩み、
荒くれ者たちをまとめあげ、
里を興す。

そして、
無名諸国の将軍だったシャプールに、
「この人に仕えたい」と思わせた。

これ、
相当な人物だと思う。

ホウは、
血筋や肩書きで人を従わせたわけじゃない。

王でもない。

大国の支配者でもない。

最初から立派な地位を持っていたわけでもない。

それでも、
人がついてきた。

オルハンが共にいた。

シャプールが選んだ。

荒くれ者たちをまとめ、
里を作ることができた。

つまりホウは、
人を惹きつける器を持った男なんだと思う。

ここが、
チャオにとってはかなり大きい。

チャオは、
そんな父の息子として生まれた。

ただ強い父。

ただ優しい父。

ただ頼れる父。

それだけではない。

人をまとめ、
人に選ばれ、
場所を作り、
次の世代へつなぐ父。

その背中を見て育ったのが、
チャオなんだ。

もちろん、
チャオはホウそのものではない。

父が偉大だからといって、
息子も同じように生きなければならないわけじゃない。

でも。

偉大な父を持つ主人公は、
必ずどこかで問われる。

父と同じ道を歩むのか。

父を超えるのか。

父とは違う答えを出すのか。

あるいは、
父が残したものを、
自分なりの形で受け継ぐのか。

チャオの物語にも、
きっとその問いがあると思う。

ホウは、
チャオの父親だ。

でもそれ以上に、
チャオが背負うことになる“始まり”でもある。

父が作った里。

父が守ろうとしたもの。

父に集まった人々。

父が誰かに選ばれた理由。

その全部が、
チャオの出発点にある。

だからこそ、
チャオという主人公を読む時、
ホウはただの背景設定では終わらない。

チャオの中に、
どれだけホウが残っているのか。

チャオは、
ホウから何を受け継ぐのか。

そしていつか、
ホウの息子ではなく、
チャオ自身として立てるのか。

ここが、
スターリープ本編でかなり大事な見どころになると思う。

チャオは父親世代が築いた里で生きている

チャオは、
ただ里で暮らしている少年ではない。

父親世代が築いた里で、
生きている少年だ。

ここがかなり大きい。

チャオの父はホウ。

シーリーンの父はオルハン。

そしてホウとオルハンは、
少年時代からの戦友だった。

群島諸国から無名諸国へ渡り、
傭兵として戦い、
やがて里の創設に関わっていく。

その歴史の先に、
チャオたちの暮らす里がある。

つまりチャオにとって里は、
ただの故郷ではない。

父が作った場所。

父の仲間たちが守ろうとした場所。

父親世代の選択と縁が、
積み重なってできた場所なんだ。

これ、
めちゃくちゃ重い。

普通の物語なら、
「主人公の故郷」として描かれる場所かもしれない。

でもスターリープの場合、
その故郷の裏側に、
ホウやオルハンたちの人生がある。

ただ家がある。

ただ家族がいる。

ただ幼なじみがいる。

それだけじゃない。

そこには、
戦ってきた大人たちがいて、
その大人たちが選んだ生き方があって、
ようやく作られた日常がある。

チャオは、
その日常の中で育った。

だからこそ、
里が壊滅するという展開は、
かなり重いものになる。

チャオが失うのは、
単なる住む場所ではない。

父が築いたもの。

父親世代が守ろうとしたもの。

自分が当たり前のように受け取っていた日常。

それらが、
一気に崩されることになる。

ここが、
幻想水滸伝らしいと思う。

幻想水滸伝の主人公は、
最初から英雄として立っているわけじゃない。

大切な場所がある。

大切な人がいる。

守りたい日常がある。

けれど、
その日常が戦争や権力や理不尽によって壊される。

そこから、
主人公は立ち上がらざるを得なくなる。

チャオも、
きっとそういう場所にいる。

ホウの息子として、
父が築いた里で育った少年。

でも、
その里が失われた時、
チャオはただの息子ではいられなくなる。

父が作った場所を失い、
父が守ろうとしたものを知り、
自分が何を背負っていたのかを、
初めて突きつけられる。

たぶん、
チャオの物語はそこから始まる。

里にいた頃のチャオは、
まだ“受け取る側”だったのかもしれない。

父たちが作った日常を受け取り、
その中で生きていた。

でも、
スターリープ本編では、
チャオ自身が問われることになる。

その日常が壊れた時、
何を守るのか。

父親世代が残したものを、
どう受け継ぐのか。

そして、
ホウの息子としてではなく、
チャオ自身として、
どんな道を選ぶのか。

チャオが生きていた里は、
ただのスタート地点ではない。

父親世代の物語が積み重なった場所。

そして、
チャオが何を失い、
何を背負うのかを決定づける場所なんだと思う。

里の壊滅はチャオに何を背負わせるのか?

チャオの物語を考えるうえで、
避けて通れないのが里の壊滅だ。

スターリープの主人公であるチャオは、
父ホウが築いた里で生きている。

ホウだけではない。

オルハンがいて、
シーリーンがいて、
シャプールもその縁の中にいる。

父親世代が戦い、
選び、
積み上げてきた場所。

それが、
チャオの日常だった。

でも、
その日常は壊される。

ここが重い。

里が壊滅するというのは、
ただ建物が壊れるという話ではない。

住む場所を失う。

帰る場所を失う。

当たり前だった日々を失う。

そして何より、
父親世代が作ったものを、
目の前で壊されるということだ。

チャオにとって、
それは単なる悲劇ではないと思う。

自分が何を受け取っていたのか。

自分がどれだけ守られていたのか。

父たちが何を作り、
何を守ろうとしていたのか。

その意味を、
痛みとして突きつけられる出来事になるはずだ。

幻想水滸伝の主人公は、
いつだって何かを失う。

最初から英雄だったわけじゃない。

最初から大きな旗を背負っていたわけでもない。

でも、
大切なものを奪われる。

守りたかった場所が壊される。

信じていた日常が崩れる。

その先で、
もう元の自分には戻れなくなる。

チャオも、
そこに立たされる主人公なのだと思う。

里が壊滅した時、
チャオはただのホウの息子ではいられなくなる。

父が築いた場所を失った者。

父親世代の想いを受け取った者。

シーリーンたちと同じ日常を失った者。

そして、
その喪失を抱えたまま前に進まなければならない者。

そうなる。

ここで大事なのは、
チャオが背負うものは“復讐”だけではないということだ。

もちろん、
怒りはあると思う。

悲しみもある。

許せない気持ちもある。

でも幻想水滸伝は、
ただ怒りだけで進む物語ではない。

失ったものをどう受け止めるのか。

残された人とどう生きるのか。

父親世代が作ったものを、
次の世代がどう引き継ぐのか。

そこまで描いてくる作品だと思っている。

だからこそ、
里の壊滅はチャオにとって、
単なる旅立ちのきっかけでは終わらない。

ホウの息子として。

里で育った少年として。

そして、
スターリープの主人公として。

チャオが何を背負い、
何を選び、
どんな旗を掲げるのか。

そのすべての始まりが、
里の壊滅なのだと思う。

たぶんチャオは、
壊された里を見て初めて知る。

自分が生きていた場所の重さを。

父が残したものの大きさを。

そして、
自分が受け継いでしまったものを。

ここから、
チャオは主人公になる。

ホウの息子としてではなく。

失われた里の記憶を背負う者として。

そして、
父親世代の物語を次へ進める者として。

シーリーンとの関係は“幼なじみ”だけでは終わらない

チャオを語るなら、
シーリーンとの関係も外せない。

シーリーンは、
チャオと同じ里で育った幼なじみ。

それだけ聞けば、
よくある主人公の近しい少女キャラに見えるかもしれない。

でも。

スターリープにおけるシーリーンは、
ただの幼なじみでは終わらない気がしている。

理由は、大きく2つある。

ひとつは、
シーリーンの登場シーンが、
『幻想水滸伝II』のナナミを思わせること。

あの構図には、
どうしてもリオウとナナミの再会を重ねてしまう。

ナナミは、
リオウにとっての家族であり、
帰る場所であり、
戦争という大きな流れの中で、
人間らしさをつなぎ止めてくれる存在だった。

もしシーリーンにも、
それに近い役割があるなら。

チャオにとって彼女は、
単なる仲間ではない。

里の日常。

帰る場所。

失いたくない温度。

そういうものを背負った存在になる。

そしてもうひとつ。

シーリーンには、
“おさななじみ攻撃”がある。

この名前を見て、
幻想水滸伝IIを知っている人間が思い出すのは、
やっぱりリオウとジョウイの幼なじみ攻撃だ。

これが、少し怖い。

幼なじみという言葉は、
幻想水滸伝IIにおいて、
ただ温かいだけの関係ではなかった。

同じ場所で育った。

同じ痛みを知っていた。

同じように戦っていた。

でも、
最後まで同じ道を歩けるとは限らなかった。

リオウとジョウイは、
まさにそういう関係だった。

だから、
チャオとシーリーンにも“おさななじみ”という要素があるなら、
そこにはどうしても分かれ道の気配を感じてしまう。

もちろん、
シーリーンがジョウイのように敵対する、
と言いたいわけじゃない。

そこまで決めつけるには早すぎる。

でも、
スターリープが幻想水滸伝IIの記憶を意識しているなら、
“幼なじみ”という関係をただの仲良し設定で終わらせるとは思えない。

チャオにとって、
シーリーンは何なのか。

帰る場所なのか。

共に戦う仲間なのか。

同じ里を失った者同士なのか。

それとも、
いつか違う答えを選ぶ可能性を持った存在なのか。

ここはかなり気になる。

しかも、
シーリーンの父はオルハン。

チャオの父はホウ。

ホウとオルハンは、
少年時代からの戦友だった。

つまり、
チャオとシーリーンの関係は、
本人たちだけで始まったものではない。

父親世代から続く縁の上にある。

父たちが出会い、
共に戦い、
里を作り、
その場所で子どもたちが育った。

チャオとシーリーンの幼なじみ関係には、
その背景がある。

だからこそ、
この関係は軽く見られない。

シーリーンは、
チャオにとっての“近い人”だ。

でも、
近いからこそ重い。

近いからこそ、
失った時に痛い。

近いからこそ、
違う道を選んだ時に苦しい。

幻想水滸伝は、
そういう関係を容赦なく揺さぶってくる作品だと思っている。

だからおいらは、
チャオとシーリーンの関係を、
ただの幼なじみ枠としては見られない。

ナナミのような帰る場所。

ジョウイのような分かれ道。

そして、
父親世代から続く縁。

その全部が重なっているからこそ、
チャオとシーリーンの関係には、
スターリープ本編のかなり大事な感情が詰まっている気がしている。

チャオは幻想水滸伝らしい主人公になれるのか?

ここは、
スターリープを見るうえでかなり大事なポイントだと思う。

幻想水滸伝の主人公って、
ただ強いだけの存在ではない。

むしろ最初は、
特別な英雄には見えないことが多い。

坊ちゃんもそうだった。

リオウもそうだった。

最初から、
世界を救おうとしていたわけじゃない。

最初から、
戦争の中心に立とうとしていたわけじゃない。

ただ、
大切な人がいて。

帰る場所があって。

守りたい日常があった。

それを奪われる。

だから、
立たざるを得なくなる。

ここが、
幻想水滸伝の主人公なんだと思っている。

チャオも、
おそらく同じ場所に立つ。

ホウの息子。

父親世代が築いた里で育った少年。

シーリーンたちと同じ日常を生きていた主人公。

そのチャオが、
里の壊滅という悲劇を前にして、
ただの少年ではいられなくなる。

ここに、
幻想水滸伝らしさがある。

でも、
幻想水滸伝の主人公に必要なのは、
悲劇を背負うことだけじゃない。

人が集まること。

誰かに託されること。

旗印になること。

そして、
自分の意思とは関係なく、
大きな流れの中心に押し出されていくこと。

ここが重い。

チャオは、
ホウの息子だ。

つまり、
人を惹きつける父の背中を見て育っている。

ホウは、
シャプールに選ばれた男だった。

オルハンと共に歩んできた男だった。

荒くれ者たちをまとめ、
里を作った男だった。

ならばチャオもまた、
誰かに選ばれる主人公になるのかもしれない。

ただし。

チャオが幻想水滸伝らしい主人公になるためには、
父の息子であるだけでは足りない。

ホウの息子だから人が集まる。

ホウの息子だから期待される。

ホウの息子だから背負わされる。

それはたぶん、ある。

ゲンカクの息子、リオウがそうであったように。

でも、
最終的にはそれだけでは駄目なんだと思う。

チャオ自身が、
何を選ぶのか。

チャオ自身が、
誰を信じるのか。

チャオ自身が、
どんな旗の下に立つのか。

そこが問われる。

幻想水滸伝の主人公は、
誰かの子どもとして始まっても、
最後には自分自身の名前で立たなければならない。

リオウは、
ジョウイやナナミとの関係だけで主人公だったわけじゃない。

坊ちゃんも、
父テオの息子というだけで終わらなかった。

王子も、
ファレナ女王家の人間というだけではなく、
自分の意思で戦うことになった。

チャオもきっと、
そうなる。

ホウの息子として始まる。

父親世代が築いた里を失う。

シーリーンたちとの日常を背負う。

そのうえで、
チャオ自身の答えを出さなければならない。

ここまで来て初めて、
チャオは幻想水滸伝の主人公になるのだと思う。

大切なのは、
最初から英雄であることじゃない。

失ったものを抱えたまま、
それでも誰かのために立てるか。

自分だけの怒りではなく、
仲間たちの想いまで背負えるか。

父が作った場所を失った先で、
今度は自分が誰かの帰る場所になれるか。

チャオに問われるのは、
たぶんそこだ。

だからおいらは、
チャオに期待している。

ホウの息子としてではなく。

スターリープの主人公として。

そして、
新しい幻想水滸伝の旗を背負う少年として。

チャオがどんな主人公になるのか。

そこに、
スターリープという作品の成否がかなり詰まっている気がしている。

終わりに

スターリープ。

リープ。

飛ぶ。
跳ねる。
あるいは、越える。

昨今、
タイムリープものは珍しくない。

だから最初、
おいらは『スターリープ』というタイトルを、
“星の巡り”くらいの意味で受け取っていた。

星が巡る。

運命が動く。

108星が集まる。

そういうニュアンスなのかな、と。

でも、
本当にそれだけなのか。

スターリープという言葉の真の意味は、
まだわからない。

幻想水滸伝には、
百万世界という概念がある。

百万世界。

いわゆる並行世界のことだ。

『幻想水滸伝IV』や『幻想水滸伝V』につながる本編世界があり、
『ティアクライス』や『紡がれし百年の時』のような、
似て非なる世界も存在する。

翼と鱗の世界のような、
明確に異なる世界もある。

この世界観と、
“リープ”という言葉。

相性が良すぎるんじゃないか。

そして、
スターリープの里には大樹がある。

あの大樹を見ていると、
どうしても思い出してしまう。

『紡がれし百年の時』の時代樹。

時を越え、
過去と現在を結ぶような存在。

もちろん、
現時点でスターリープの大樹が時代樹と関係しているとは断言できない。

でも、
あの大樹がただの背景だとも思えない。

星。

リープ。

百万世界。

大樹。

そして、
父親世代から子ども世代へ受け継がれていく物語。

そう考えると、
チャオという主人公は、
単にホウの息子として旅立つだけではないのかもしれない。

父が築いた里。

父が守ろうとしたもの。

父親世代が残した縁。

それを受け継ぐだけではなく、
もしかするとチャオは、
もっと大きな“世界の継承”に関わる主人公なのかもしれない。

幻想水滸伝の主人公は、
いつだって自分の意思だけで物語の中心に立つわけじゃない。

失う。

託される。

背負わされる。

それでも、
自分の足で立つ。

チャオもきっとそうだ。

ホウの息子として始まり、
里を失い、
父親世代の想いを受け取り、
その先で自分自身の答えを出すことになる。

スターリープ。

そのタイトルが示すものが、
星の跳躍なのか。

世界を越える物語なのか。

時間を越えて受け継がれる意志なのか。

まだわからない。

でも、
チャオがその中心にいることだけは、
きっと間違いない。

ホウの息子。

里を失う少年。

父親世代の物語を受け継ぐ主人公。

チャオがどんな形で“跳ぶ”のか。

おいらは、
そこを見届けたい。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次