
『幻想水滸伝スターリープ』の主人公、チャオ。
正直に言うと、
最初に見た時、
少し地味だなと思った。
主人公らしい派手さ。
一目で分かる特別感。
強烈なビジュアルの引き。
そういうものは、
今のところあまり強くないように見える。
どちらかといえば、
『ラプソディア』のキリルに近い印象がある。
世界の中心に立つ英雄というより、
物語の中で少しずつ主人公になっていく少年。
そんな雰囲気だ。
もちろん、
これはまだ第一印象でしかない。
実際に物語を進めたら、
印象は大きく変わるかもしれない。
むしろ、
最初に地味に見えるからこそ、
成長や変化が映える可能性もある。
スターリープは、
湖畔の里から始まる物語。
チャオは、
最初から完成された英雄ではなく、
里を失い、
ヒスイと向き合い、
仲間と出会いながら、
少しずつ主人公になっていく存在なのかもしれない。
今回は、
チャオの第一印象から、
彼が“地味な主人公”なのか、
それとも“未完成だからこそ映える主人公”なのかを考えていく。
チャオの第一印象は、正直少し地味だった
チャオの第一印象は、
正直に言えば、
少し地味だった。
これは、
悪口として言いたいわけではない。
ただ、
主人公として見た時に、
一目で強烈に引っ張ってくるタイプではないと思った。
髪型。
服装。
表情。
全体のシルエット。
どれも、
かなり落ち着いている。
派手な装飾があるわけでもない。
王子らしい華やかさがあるわけでもない。
英雄感を前面に押し出しているわけでもない。
武器だって錫杖だ。
だから、
初見のインパクトだけで言えば、
少し弱く見えた。
おいらの中で、
幻想水滸伝の主人公には、
どこか“記号”の強さがあった。
ティルなら、
あの赤い服と、
どこか品のある立ち姿。
リオウなら、
少年らしさと、
親しみやすさ。
ファレナの王子なら、
見た瞬間に分かる王族感と華。
そういう、
一目で印象に残る何かがあった。
それに比べると、
チャオはかなり控えめに見える。
良く言えば、
自然。
悪く言えば、
主人公としての押し出しが弱い。
特に、
スターリープはソーシャルゲームだ。
キャラクターが多く登場する。
歴代キャラも出る。
ビクトールやフリック、
オデッサのような、
すでに存在感の強い人物もいる。
その中に並んだ時、
チャオの見た目は、
少し埋もれてしまわないか。
そこは、
正直気になっている。
ただ、
地味に見えることが、
そのまま悪いとは限らない。
チャオは、
最初から完成された英雄ではないのかもしれない。
湖畔の里で暮らしていた、
ひとりの少年。
その少年が、
里を襲われ、
ヒスイと向き合い、
仲間と出会い、
変化の紋章に関わっていく。
そういう物語なら、
最初の見た目が控えめであることにも意味はある。
最初から派手な英雄ではなく、
物語の中で少しずつ主人公になっていく。
チャオは、
そういうタイプの主人公なのかもしれない。
だから、
第一印象は地味。
でも、
その地味さが、
物語を通してどう見え方を変えていくのか。
そこはかなり気になっている。
歴代主人公と比べると“華”は控えめに見える
チャオが地味に見える理由は、
単体のデザインだけではないと思う。
どうしても、
歴代主人公たちと並べて見てしまうからだ。
ティルは、
赤を基調にした衣装と、
どこか育ちの良さを感じる佇まいがあった。
リオウは、
親しみやすい少年らしさがありながら、
やはり赤を中心にした色使いで、
画面の中に立つと意外と目を引く。
ヒューゴは、
カラヤ族の少年としての野性味があった。
ラズロは、
海の物語を背負う主人公らしく、
衣装にも舞台の空気が乗っていた。
そして、
幻想水滸伝Vの主人公は、
もう一目で王子だ。
白を基調にした衣装。
整った顔立ち。
やわらかさと気品が同居した雰囲気。
並べてみると、
歴代主人公たちは、
それぞれ違う形で、
ひと目見た時の“引っかかり”を持っていたと思う。
もちろん、
派手なら良い、
という話ではない。
でも、
主人公として画面に立った時に、
自然と視線が向く何か。
言ってしまえば、
“華”のようなものがあった。
それに対して、
チャオはかなり素朴に見える。
衣装も、
色味も、
全体の印象も、
かなり落ち着いている。
主人公だから目立つ、
というより、
物語の中に自然に溶け込んでいる。
ここは、
歴代主人公と比べると、
かなり違って見える部分だ。
特に、
スターリープには、
すでにビクトールやフリック、
オデッサのような、
存在感の強い歴代キャラクターがいる。
その中で、
チャオだけを見ると、
どうしても少し控えめに映る。
“主役感”で押してくるというより、
まだ物語の始まりに立つ、
ひとりの少年に見える。
ここを、
物足りないと感じる気持ちはある。
正直、
おいらももう少し、
一目で惹かれる何かがほしかった。
ただ、
逆に言えば、
チャオは最初から“特別な人物”として見せる主人公ではないのかもしれない。
王子でもない。
すでに名を馳せた英雄でもない。
湖畔の里で生きていた少年が、
物語の中でどう変わっていくのか。
その変化を見せるために、
あえて最初の印象を抑えている。
そんな可能性も、
少しだけ考えている。
歴代主人公と比べると、
チャオの“華”は控えめに見える。
でも、
その控えめさが、
後からどう効いてくるのか。
そこは、
実際に物語を追って確かめたい。
ラプソディアのキリルっぽさを感じた理由
チャオを最初に見た時、
おいらの頭に浮かんだのは、
『ラプソディア』のキリルだった。
もちろん、
そっくりという意味ではない。
髪型が同じとか、
衣装が似ているとか、
そういう話ではない。
もっと、
全体から受ける印象の話だ。
どちらも、
主人公として前に出てくるわりに、
第一印象の押し出しはそこまで強くない。
一目見た瞬間に、
「あ、こいつが物語の中心だ」
と強く訴えてくるタイプではない。
むしろ、
最初は少し控えめで、
物語の中に置かれて初めて、
輪郭が見えてくるような主人公に見える。
ここが、
おいらの中でかなり重なった。
ティルやリオウ、
ファレナの王子のように、
ビジュアルだけである程度の印象を残す主人公とは違う。
キリルも、
チャオも、
見た目の時点では、
こちらの感情を強く引っ張るというより、
少し離れた場所に立っているように見える。
でも、
だからこそ、
物語を通してどう見え方が変わるのかが気になる。
最初から好きになるというより、
一緒に歩くうちに、
気付けば好きになっている。
そういう主人公の気配がある。
キリルも、
派手な主人公ではなかった。
でも、
物語の中で彼が背負っているものや、
周囲との関係が見えてくると、
ただ地味な少年では終わらなくなる。
チャオにも、
それに近い可能性を感じている。
最初のビジュアルだけなら、
少し物足りない。
けれど、
里を失い、
ヒスイと関わり、
変化の紋章に巻き込まれ、
多くの仲間と出会っていく中で、
その控えめな印象に、
後から意味が宿るのかもしれない。
そう考えると、
チャオに感じたキリルっぽさは、
単なる地味さではない。
最初から完成された主人公ではなく、
物語の中で主人公になっていく少年に見えること
その感覚だったのだと思う。
地味さは“未完成の主人公”としての余白なのか
チャオの地味さは、
ただの弱点なのか。
—
それとも、
まだ何者でもない主人公としての、
“余白”なのか。
—
ここは、
少し考えてしまう。
—
ティルは、
帝国将軍の息子だった。
—
リオウは、
幼い頃からジョウイやナナミとの関係が、
物語の色を濃くしていた。
—
ヒューゴは、
カラヤ族の少年として、
最初から強い出自を背負っていた。
—
ファレナの王子は、
もう立っているだけで王子だった。
—
一方で、
チャオは今のところ、
湖畔の里に生きる少年として見えている。
—
王族でもない。
—
名家の出でもない。
—
伝説を背負って登場するわけでもない。
—
少なくとも、
現時点で公開されている情報だけを見るなら、
彼はまだ、
“特別な何者か”には見えない。
—
だからこそ、
見た目も控えめなのかもしれない。
—
最初から主人公らしく完成されているのではなく、
物語の始まりでは、
まだただの少年に近い。
—
里を失う。
—
ヒスイと向き合う。
—
仲間と出会う。
—
変化の紋章に関わる。
—
その中で、
少しずつ、
チャオという輪郭が立ち上がっていく。
—
もしそういう主人公なら、
最初の地味さは、
単なる欠点ではなくなる。
—
むしろ、
物語が入り込むための余白になる。
—
最初から強烈な色がついていないからこそ、
経験がそのまま乗っていく。
—
出会いが乗る。
—
喪失が乗る。
—
選択が乗る。
—
そして、
最後に振り返った時、
最初に見たチャオとは、
まったく違う存在に見えている。
—
そんな主人公なら、
かなり面白い。
—
もちろん、
今の段階では、
本当に意図された地味さなのかは分からない。
—
ただ単に、
おいらの好みに刺さらなかっただけかもしれない。
—
でも、
見た目の第一印象に少し物足りなさを感じたからこそ、
逆に気になっている。
—
この少年は、
物語の中で、
どれだけ主人公になっていくのか。
—
チャオの地味さが、
ただの地味さで終わるのか。
—
それとも、
未完成の主人公が変わっていくための、
最初の余白だったのか。
—
そこは、
スターリープを遊ぶうえで、
かなり見てみたいところだ。
物語を通して印象が変わる主人公かもしれない
第一印象は、
たしかに大事だ。
見た瞬間に惹かれる。
立ち絵だけで好きになる。
そういう主人公もいる。
でも、
RPGの主人公は、
最初にどう見えたかだけで決まるわけじゃない。
何十時間も一緒に歩く。
失う場面を見る。
迷う場面を見る。
それでも前に進む姿を見る。
そうやって、
いつの間にか、
最初とはまったく違う顔に見えてくることがある。
チャオも、
そういう主人公なのかもしれない。
今は、
少し地味に見える。
歴代主人公と並べると、
華も控えめに感じる。
でも、
里を失った時に、
どんな表情をするのか。
ヒスイの前で、
どんな言葉を選ぶのか。
仲間を背負う立場になった時に、
どんなふうに立つのか。
そこを見ていくうちに、
今はまだ見えていないものが、
少しずつ乗っていく可能性はある。
派手な衣装が増えるわけではない。
顔立ちが変わるわけでもない。
でも、
プレイヤーの中での見え方は変わる。
最初は、
少し地味な少年だった。
けれど、
物語を終える頃には、
「チャオはこの見た目でよかった」
と思えるようになっている。
そんな主人公も、
たぶんいる。
むしろ、
ビジュアルの強さではなく、
物語の積み重ねで好きになる主人公は、
あとから深く残ることがある。
最初に惹かれる主人公と、
最後に好きになる主人公は、
必ずしも同じではない。
チャオは、
後者なのかもしれない。
第一印象だけなら、
まだ少し物足りない。
でも、
スターリープを遊び終えた後に、
その控えめな顔を見て、
まったく違う感情が湧いているなら。
その時こそ、
チャオは本当に、
おいらの中で主人公になったのだと思う。
終わりに
チャオは、
物語を通して、
印象が変わる主人公かもしれない。
繰り返すが、今は少し地味に見える。
でも、
里を失い、
ヒスイと向き合い、
仲間を集め、
変化の紋章に関わっていく中で、
その控えめな見た目に、
後から重みが乗っていく可能性はある。
実際、
RPGの主人公は、
最初の見た目だけで決まるものではない。
物語が良ければ、
表情も、
立ち姿も、
まるで違って見えてくることがある。
ただし。
それで全部が覆るとも、
おいらは思っていない。
『幻想水滸伝ティアクライス』の主人公も、
正直、
かなり地味に見えた。
シナリオは濃かった。
主人公としても、
間違いなく良かった。
声が梶裕貴さんだったのも、
とても良かった。
それでも、
見た目に関しては、
最後までおいらの好みにはならなかった。
良い主人公と、
見た目まで好きになれる主人公は、
必ずしも同じではない。
ここは、
ちゃんと分けて考えたい。
そして、
『幻想水滸伝I』から『V』までの主人公たちを並べて見ると、
やっぱり思う。
ティル。
リオウ。
ヒューゴ。
ラズロ。
ファレナの王子。
この並びには、
圧倒的な“主人公の華”があった。
一人ひとり、
方向性は違う。
でも、
並んだ時に、
ちゃんと絵になる。
ああ、
幻想水滸伝の主人公たちだ。
そう思わせてくれる強さがある。
チャオには、
今のところ、
そこまでの一撃は感じていない。
だから、
第一印象としては、
やっぱり少し残念だ。
物語を通して好きになれるかもしれない。
でも、
ビジュアルまで最後に刺さるかどうかは、
まだ分からない。
そして、
分からないままでいいとも思っている。
無理に、
最初から好きになろうとする必要はない。
実際に遊んで、
チャオがどんな少年なのかを見て、
そのうえで、
最後にどう感じるのか。
そこを確かめたい。
地味に見えた主人公が、
物語の力で、
おいらの中の見え方まで変えてくれるのか。
それとも、
良い主人公ではあっても、
見た目だけは最後まで好みにならないのか。
どちらでもいい。
ただ、
スターリープを遊び終えた時、
今よりずっと強い感情で、
チャオのことを語れていたらいい。
第一印象は、
正直少し地味。
でも、
その印象が最後にどう変わるのか。
おいらは、
そこも含めて見届けたい。

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